実は躁うつだった?情熱の画家 ゴッホ
フィンセント ファン ゴッホさんのあれこれ!
実はゴッホさんは精神疾患を患っていたってことは知っていますか??
ゴッホさんは、1853年オランダの南部で牧師の家に生まれます。
中学入学するも、15歳のとき経済的理由で中学を中退するそうです、現在の日本の中学は義務教育なんで中退なんてないので驚きです!?
1869年、画商のグーピル商会に勤めハーグ、ロンドン、パリで働くのですが1876年商会を解雇されてしまいます。
当時、ロンドン勤務を任されるのですが、下宿先の娘さんに恋をします しかしその娘さんには婚約者がいて、失恋してしまいます。
その後、パリに転勤させられるんですが失恋のせいで仕事に支障でまくりで解雇だそうです。
その後、イギリスで教師やオランダの書店で働くうちに次は聖職者を目指します。
何気にチャレンジ精神が大勢ですね。
1877年アムステルダムで神学部の受験勉強を始めますが挫折…
1878年ベルギーで伝道活動を行う内に画家を目指し始めます。
その後、金銭的な援助などを弟のテオさんから受けながらが画家を続けます。
この時代の代表作は「ジャガイモを食べる人」
貧しい農民の生活を描いた、全体的に暗い感じの絵です。
1886年テオを頼りにパリに移り住みます、この頃は明るい感じの絵で代表作は「タンギー爺さん」
ゴッホさんは日本の浮世絵などにも関心を持たれたそうです。
1888年南フランスに移住し、一度は見たことがあるゴッホと言えば的な絵!!
「ひまわり」や「夜のカフェテラス」などの自身の代表作を生み出します。
なお、ひまわりシリーズにはゴッホさんの生涯の前期と後期に何作かあるそうです。
その後、南フランスに画家の協同組合を作ることを夢みて、ゴーギャンさんを迎えて共同生活開始。
しかし二人の関係はやがてギクシャクし始め、ゴッホさんの耳切り事件で共同生活も破綻してしまうそうです。
以後、発作に苦しみながら病院への入退院を繰り返すことに、1889年療養所に入所、発作の合間にも星月夜などの風景画、人物画を描き続けたそうです。
1890年、療養所を退所した後パリに移り画作を続けるが、その年の7月27日に自らを銃で撃ち2日後の29日に亡くなってしまいます。
発作の原因は躁うつ、てんかん、統合失調症などの仮説が研究者により発表されているそうです。
また生前に売れた絵は「赤い葡萄畑」の1枚らしいです。
死後の回顧展の開催や書簡集や伝記などの出版により、かなり知名度があがり絵も市場での評価も急騰したそうです。
映画、炎の人ゴッホでは、情熱的な画家、狂気の天才といったイメージを持たれたそうです。
ゴッホさんを精神障害にしたのはさまざまな要因が重なった結果やリキュールの一種のアブサンなどの過度な飲酒や乱れた食生活やゴッホが敬愛したゴーギャンさんとの関係悪化により発作が頻繁になりこれが一つの原因とも言われているそうです。
そして、ゴッホさんは病状がでるたびに再発するのではないかという恐れが強まり、その恐怖が2年後の自殺につながった可能性があると言われています。
ゴッホさんの耳切り事件の説とは?
ゴッホさんはゴーギャンさんとの関係悪化によりゴーギャンさんに対して行かないでくれ!!待ってくれ!!的な意味で感情的になり切った。という説やゴーギャンさんに自画像の耳の形が変だと言われて切った説 、それにテオさんの奥さんにもう援助はしないと言われたことに対して切った説など様々なようです。